これからは、ソングライター、ボーカリストとして成長するよう努力する、それだけだわ

驚くべき声域と表現力の豊かさで、今や女性ボーカリストの頂点に立ったマライア・キャリー。そのボーカルは世界中で愛され、爆発的なセールス記録を打ち立てている。しかし、彼女がここまで来るには、食べるものにも困る時代があったという。成功を手にしたマライアは今後どんな展開を見せるのか。

Mariah Carey - What's In? Magazine (Japan) - March 3, 1992 - Scans
Magazine Scans
What's In? (JP) March 3, 1992. Text by Nishimaki Yoko.

何年も温めておいたものを一挙に吐き出す1stアルバムと違い、成功のプレッシャーを感じながら短期間に作詞・作曲、レコーディングしなければならない2ndアルバムでは、プロとしての本当の力を問われる。2nd アルバムの『エモーションズ』も大ヒット中の今、マライアは名実ともにプロのミュージシャン、そしてスターになったと言えるだろう。とはいえ、マライアの1stアルバムの成功には、「シンデレラ物語」「レコード会社の強力なバックアップ」という言葉がついて回ったため、一部の批評家の間ではやや意地悪く受け止められていた。しかし、この2ndアルバムに対する批評はたいていは良い評で、中には「1stアルバムには見られなかった彼女自身の生の感情が表現され、前作よりも秀作となっている」というような賛辞を贈る批評家もいた。小柄できゃしゃなため、誰かに操られるお人形さんというイメージのあるマライアにとって、2ndアルバムで、彼女がはっきりとした個性と表現を持つアーティストであることが評価された事実は重要だ。母親がオペラ歌手うんぬんという話を聞いていたので、実は私も、マライアはなんの苦労もせずに育ったお嬢さんなのだと思っていたのだが、「メイク・イット・ハップン」にある何か切実なものを聴いた時、「もしかすると、私の考えていたような女性ではないのかもしれない」と思った。そして、それは彼女とのインタビューで明らかになった。

このアルバムでは、あなたもコ・プロデュースしたそうですが、それで1stアルバムよりゴスペルやジャズのフィーリングが強く出ているのですか?
1stアルバムを作った時は新人だったから、有名なプロデューサーやべテランたちが手を貸し1stアルバムではやれなかったことを試みたり、ストレッチできたら、と思っていたわ。

1stアルバムの成功はあなたにとって重荷になった?
1stアルバムが完成してすぐに新作用の曲を書き始めたから、評判とか成功とかにわずらわされずに曲を喜くことができた。1stアルバムが成功して、新作でコ・プロデュースすることが可能になったり、前よりもてくれて、その結果、私の個性が埋もれてしまうというようなこともあった。今回は初めから終わりまでスタジオにいて、アルバム作りのすべてに関わったから、私の個性も出せたと思う。

新作はどんなものにしたいと考えていたんですか?
ソングライターとして成長しつつあるということを見せたかったし、ボーカリストとして大きな自由を与えられたということについては感謝しているし、幸運だったと思う。これからは成功とは関係なく、ソングライターとして、ボーカリストとして成長し続けていくように努力する、それだけだわ。

キャロル・キングとの共作というアイデアはどこから?
彼女が「ナチュラル・ウーマン」をカバーしないかとマネージメントに言ってきたの。この曲は私の大好きな曲だけど、アレサ・フランクリンの歌ったものが最高だと思っていたし、カバーを歌う気はなかったからそう言ったら、「じゃ、一緒に曲を喜いてみる?」と言ってくれたの。彼女の『つづれおり』は物心ついて最初に聴き、好きになったアルバムの1枚だったから、彼女の誘いはすごくうれしかったし、エキサイトしたわ。彼女は素晴らしいソングライタ1で、一緒に曲作りするのはマジカルな経験だった。

新作を『エモーションズ』と呼ぶことにしたのはなぜ?
このアルバムを作っていた時、最高の幸福、なんとなくうれしいという気持ち、気が滅入ってどうしようもない・・・など感情的にさまざまな経験をしたのね。それで「エモーションズ」が1stシングルになることが決まった時点で、アルバム全体を『エモーションズ』と呼ぶのがふさわしいんじゃないかと思ったの。

特に身近に感じている曲はありますか?
「メイク・イット・ハップ ン」は私にとってはとても意味のある曲だわ。これは70~80年代初期、つまり私が全身で音楽を吸収してた頃に聴いた音楽を彷彿させるような曲になってる。そういう意味では私なりの、その時代の音楽へのトリビュートと言うこともできると思う。

「時には食べる物さえなかった」ということが歌われてますけど、実際にそんな日々を過ごしたことがあるんですか?
(うなずく)私、17歳の時に家を出て、その後はずっと自活してたの。音楽で身を立てる決心をしてたし、必ずやれるとじていたから。家を出てからは、家族も含め誰にも頼らなかった。だから、この歌に書いたようなことはすべて実際に体験したわ。この曲は、私と同じような夢を持っている若い人たちに、いろいろと大変なこともあるけど、自分を信じてがんばれば夢はきっとかなえられるんだというメッセージを込めた歌でもあるの。

「ザ・ウインド」では身近な人の死を歌っていますよね。
曲そのものは50年代に害かれたラブソングで、この曲に新しい詞をつけて歌えばと勧めてくれた人がいて・・・。私はキース・ジャレットのインストゥルメンタル・バージョンを聴いたんだけど、きれいな曲なので詞をつけたの。ここで歌ってるのは交通事故で亡くなったひとつ年上の友人なんだけど、私も含め、若い時は死”なんて考えないものでしょ?でも現実にはすぐそこにあるのよね。そういうことを思いながら書いた・・・。

この曲ではジャジーなマライアを聴くことができるが、彼女がジャズの要素を取り入れたことに対し、白人のポップ・シンガーのくせに、という批判をした人がいたらしい。そのことに触れたマライアは「私は白人ではなく、ラテン、アフリカなどいろんな血が混ざっている。でも、音楽を愛している者なら、白人であろうが、混血であろうが、どんなスタイルの歌でも歌っていいはずだと思う。この世には、そうじゃなくてもいろんな壁、障害があるんだから、せめて音楽の世界にだけはそういう見方は持ち込まないでほしい」と、多少怒りの混じった表情で語った。その時の彼女の態度はきっぱりとしていて、17歳の時から自分の力で生きてきた女性の強さを感じさせられた。私が彼女に対して持っていた「お嬢様/シンデレラ」というイメージはその時きれいに拭い去られ、清々しさだけが残った。