今月は珍しいマライア・キャリーのインタビューを届けします。
マライア、あなたの年でこの成功を収めるなんて、世間一般にはあまりないことなんですが、何があなたをそこまで駆りたてるのですか?
とにかく家を離れて、ひとりで生きたかった、それじゃないかしら。あたしは、いわゆる小さな街で育ったの。友だちは全員大学へ進学して、みんなまだ在学中よ。そういう友だちの中で、全く違った進路を取るって、大変だったわ。何て言ったらいいのかしら・・・あたし、他の人の方が優れてるとは思わなかったけど、人種が違うんで、友だちとして受け入れてもらうには、普通よりずっと努力をしなければならなかったの...あたしの父は、黒人のベネズエラ人だったし、母はアイルランド人・・・なのに、住んでたのは白人が住むあたりだったから。子供の頃、成長しても、充分なおこづかいをもらったことはないわ。両親は離婚してたし、ここにはいつまでも住むもんか、そう感じていたのよ。本当に、成功したくてたまらなかったの。しかも、自分自身の手でね。それに、歌を歌いたかった。初めから充分すぎるくらい恵まれてる人って、どうしても成功したい、そう思う気持ちが強くならないんじゃないかしら?..あたしはそうじゃないから、生き延びるために、どうしても成功しなくちゃ、そう思ってたわ。
成功するまで、どれくらいの時間がかかった?
先日、自分でもどれくらいかかったかな・・・なんて考えていたのよ・・・フフ。ハイスクールを出てから、たった1年半かそこらしかかかってなかったわ・・・そんなに早く夢がかなうなんて、思ってもみなかったわ。だって、苦労している間って、まるで何年も何年も我慢してるように感じるものだから。家を出たのが17歳の時で、それから都会へ移って、自活してたんだわ。毎日ウエイトレスを夜中までやって、その後スタジオで、ベンと朝の6時か7時まで歌ってたもの。それからだと、2~3時間眠るのがせいぜいで、またすぐウエイトレスをしに出かけなきゃならなかったのよ。だから、時間的には1年半しかかかってなくても、何年分もの仕事を短期間に凝縮したようなものだわ。それに、ベンとは、ハイスクール時代から一緒に音楽を、2年間はやってるのよ。だから、成功するまで3年以上はかかってる・・・そういう計算になるのかしら。だけど、自分の人生をかけて、この成功を待ち望んでいたし、必死に努力してきたわ。一度都会へ出てからは、ウエイトレスをして知りあった人たちから、いろんなミュージシャンを紹介してもらったりしてたの。そうやって知ったブレンダ・K・スターのツアーに出たことがあるけど、彼女があたしのレコード約のきっかけになったのよ。
「エモーションズ」は、あなたのデビュー・アルバムから、どう違ってると思う?
あたしの眼でみる限り、デビュー・アルバムと全く違っている、とは思えないわ。ただ、あたしが進みたい、そう思ってる方向性により近いの。デビュー・アルバムでは、自分の好みだけではやれなかったのよ。アメリカの音楽業界では、成功しようと思ったら、色んな人の意見を取り入れてやらなきゃいけないの!
マライアは、今回、それまで以上に、曲作り、プロデュース・・・全曲に関わっているんですね。
スタジオに入ってプロデュースするって、本当に楽しかったわ。このアルバムでは、全部の曲において、共同プロデュースをしたかったの。というのは、あまりにも滑らかにスベスベにしたくなかったから・・・意味わかる?何でもかんでも、プロデュースしすきたくなかったのよ。だから、プロデュースさせすぎないようにしたの。
アルバム自体、コマーシャル度が低くなったと言われてますが・・・ジャズ風の「ザ・ウィンド」なんて曲も入ってますしね。
あたしは、全部のバラードを、ウォルター・アフォンスレフと共作したの。彼は、本当に優れた音楽家だったわ。その彼が「ザ・ウインド」と、他の曲をほとんど全部プレイしてくれてるの。ウォルターは、キース・ジャレットの「アンド・ゼイ・コール・ザ・ウインド・マライア」を聴いて、“この曲だよ。これに自分で詞をつけてみろよ。”そう言ったの。というのは、この曲自体インストルメンタル・ナンバーで、ヴォーカルが入ってなかったのよ。で、私は彼の勧め通りにしたわ。それ以外の連中は、本人がやりたいなら、やらせてみるか、そんな風な態度を取ってたけど、実の所、あたしが色んなことをやるのを応援してたんじゃないか、そう思うのよ。デビュー・アルバムで成功したおかげで、ある程度自分の意志を優先できるようになってたし、自分のやりたいことをやる力や、コントロールもついてきたのよ。…・ということは、アルバム全曲を、ポップすぎる必要はなかったの。
音楽的に、自分はどう成長したと思いますか?
永遠にポップ・ソングをやっているわけにはいかないものよ。・・・もしかしたら、できるかもしれないけど、ヒット曲が出なくなる時って、きっとくるものだと思うの・・人生って、そんなものでは?あたしは、何かに挑戦する力が好きよ。それに、自分が年をとったら、年輩のオーディエンスに気に入ってもらえるように、なりたいわ。今、そういう分野への道を開いておけば、いずれ、アルバム全体、「イフ・イッツ・オーバー」みたいな曲を、完全にライヴでできるようになるんじゃないかしら。この曲って、キャロル・キングとやったのよ。それに、この先もっと、ジャズの曲をやれるようになるかも....でも、ジャズをやるにしても、“これがあたし流のジャズよ”なんて言うつもりはないの。自分をジャズ・シンガーにする気はないし、決める気はないから。
キャロル・キングと一緒にやるって、大変じゃなかったですか?
そうでもなかったわ。実の所、声をかけてきたのは、彼女の方なの。彼女、あたしの事務所にかけてきて、「ナチュラル・ウーマン」のカバーをやらないかって、持ちかけてきたの。あたしは、とんでもないっ!って感じだったわ。あたしにとって、アレサ・フランクリンは女王が、それ以上の存在だもの。それに、このアルバムに入れる曲は、全部自分で書きたいと思ってるから、そう答えたのよ。そしたら、私と曲を一緒に書く気はない?そう言われたの。正直言って、ビクビクものだったわよ。キャロル・キングったら、もう「伝説」といってもいいシンガーだし、あたしが生まれる前から、曲を書いてたんですもの。彼女の「タペストリー」というアルバムは、あたしが初めていたアルバムの中の1枚だったわ。・・・家には彼女の曲集もあったし…・。そんな彼女に会ったなんて、その上"まぁ、あんたと一緒に曲を書きたいわ。”なんて言われたなんて、もう天にも昇る心地・・・♥そんなわけで、彼女は飛行機で来てくれたの。キャロルは、アイダホにある農場に住んでいて、普段は自分のやりたいことをやって、気ままな人生をおくっているの。そして、何か仕事をやりたくなると、ニューヨークへ出てくるのよ。私達は一緒になって曲を書き出したの。で、ほんの1時間かそこらでできたのが、あの曲よ。私達は、本当にいい経験をしたと思ってるの。
もし何も完成しなかったら、そういう不安はなかった?
何だってギャンブルと同じでしょ?誰か新しい人とやる時は、お互いの間の波長が合うかどうかわからないわ。でも、キャロルはすばらしいプロだったの。彼女の居たモータウン時代って、まるで曲作りの学校みたいなものじゃない?ただ居るだけで、あれだけの曲を、次々と送り出していたのよ。・・あたしって、誰かと意気投合すると、メロディや音楽的な変化が、ものすごく急にわいてくるの。あたし、キャロルともビッタリ合ったんだと思うわ。・・・女性と一緒に曲を書くって、あたし、ほとんど初めてだったのね。
ほとんどって、どういうこと?
まだレコード会社と契約する前、あたし女の子ばかり3人で共同生活をして、苦労して、ウエイトレスをする、そんなことをしてたのよ。その中のひとりと、彼女の持ってたスタジオで、一緒に曲を書いたことがあったわ。でも、随分昔の話で、最近は女性とやってないの。
「ザ・ウインド」の詞には、心が動かされるような気がします。これは、「死」を身近に感じた経験についていた曲でしょ?何に触発されて、こんな曲を言いたんですか?
Wel...いろんなことが、目まぐるしくおきてるから•・・。テレビでも新聞でも、エイズや何かで、若者がどんどん亡くなってる記事を見るでしょ?それに、私は、同じくらいの年の人が亡くなるのって、今まで体験したことがなかったの。それが、昨年、友だちが交通事故で亡くなったのよね。飲酒運転だったんだって。彼は、一緒に育った幼なじみで・・・それが自分のトラウマ(精神的な傷)にはならないにしても、自分の感じ方を根底から変えてしまったと思うわ。本当に起きたなんて、どうしてもじられなかった。まだ若くて、あたしと同じ年なのに・・現実ってこんなもんなんだって、打ちのめされたの。若い時って、何でもできる、何でも可能なんだって、漠然と思ってるものでしょ?この曲は、とても気分的で、ジャジーでもあり、あたしをそういう気分にさせるの・・・だから、恋とか愛とかじゃなくて、何かあたしが本当に感じたことを詞にしたかったの。あたし、たくさんの人が同じ気持ちを体験したことがあるのに、触れたくないと思ってると思うわ。
デビュー・アルバムのプロデューサー、ナラダ・マイケル・ウォールデンとリック・ウェイクを、今回起用しなかったのは、どうして?
みんな、不思議がっているんでしょうね。デビュー・アルバムがあれだけ成功したんだから、同じブロデューサーを起用するのがあたり前だとか、起用するべきだ、とか。でも、あたしはウォルターとやったわ。こういうことなの・・・ウォルターは、元はナラダの元でキーボードのブログラミングとか、色々やって、働いてたの。その頃知り合って、一度一緒にやってみようってことになって、やってみてわかったのは、彼がとても才能ある音楽家だってことだったわ。そりゃ、ウォルターは、スーパースターでもなければ、有名プロデューサーでもなかったけど。彼は「ラヴ・テイクス・タイム」をやってて、まるで物に動じないし、かつ一緒にやるのが気持ちいい人だったの。まるでエゴがなくて、パートナーシップを大事にするタイプで。私がプロデューサーなんだよ、なんて、ふた言目には言うタイプじゃないことは、確かだわ。(笑)ホラ、ブロデューサーの中には、おまえはシンガーなんだから、歌だけ歌っていればいい、他のことには口を出すな!そういう人っているでしょ?あたしは、アレがイヤなの。ウォルターとは、曲作りを楽しんでたわ。クリヴェルス&コールもコロンビア・レコードにいて、彼らともフィフティ・フィフティでやったわよ。
C&Cとやるって、どんな感じ?
楽しかったわよ。彼らって、とても70年代から80年代の初期のディスコ・ナンバーに影響されてて、それがおもしろいの。そう、少し時代を戻ったようなスタイルね。彼らがC&Cのレコードでやったことを頭に入れて、その彼らがマライア・キャリーとやるっていったら、ちょっとばかりパニくる人もいるでしょうけど、デヴィッド・コールは、元々ゴスペル系のすごいビアニストなの。このアルバムでは、その片鱗を見せてくれてるわ。「ユー・アー・ソウ・コールド」の初めに入ってるビアノや、「メイク・イット・ハブン」のピアノは、全部彼が弾いてくれてるのよ。
彼らは、あなたの声にゴスペルの切り口を加えて、もっと自由に出そうとしてますね。「ユー・アー・ソウ・コールド」なんかでは、顕著だと思いますが・・・。
そういうのをやるのが好きなの。というのは、今となっては、あまり人がやらないことでしょ?生っぽいサウンドを持ってるし・・・あたし達少しファンキーなスタジオ、本とに安いスタジオで、あれをレコーディングしたのよ。そこって、古っぽいヴォーカル効果があったの。最近って、みんな洗練されすぎよ。で、これもいけない、あれもいけないって、言われることが、多すぎるの。けど、それはないんじゃない?こういうのって、昔はいつもやってたことなんだから。
ラジオから聞こえるマライアの声が最高音になると、車庫のドアがあいちゃうって、本当?
「サムディ」という曲で、最後の部分を歌う時、そうなるって言うわね。ある女性がこの曲をずっと勝き続けていたら、最後には、車庫の扉があいちゃったんですって・・・その人、どうしてかって、頭をヒネったそうよ。それがあたしの聞いた話よ。でも、本当にあった話なのか、私自身も知らないわ。
デビュー・アルバムで一緒にいていたベン・マーグリスは、今どうしてる?
成長するってことは、そういうことでしょ?
るなんて、できるわけないわ。
それに、ベンとは意見が衝突しちゃったの・・・お金とか、契約とか・・・こういうことが、音楽にまで影響してくるなんて、残念でたまらないわ。だけど、こういうことからはっきりしないと、一緒に仕事を始められない、そう思ったの。契約にサインする時は、充分気をつけないとね。君はまだ若いから、とか何とか・・・悪い状況になるなんて思ってなかったり、自分に限ってと思ってても、この通り起きることもあるのよ。・・・あたし、傷ついたわ。
ベンとは、初めから一緒にやってきて、お互いに助けあ
デビュー前からのパートナー、ベンとは、お金と契約でもめて、ケンカ別れ。
ってきたのよ。
あなたの歌い方は、うなりが多すぎるという意見がありますが。
Well、それは、その人たちの意見でしょ?誰でも、自分の意見を持つ権利はあるわ。(笑)ただ、あたしはとても賛成できないけど。あたしは、自分の魂から歌ってるの。スタジオで、自分の気の向くままに歌ってるのよ。(肩をすくめて)所詮、全部の人を満足させるなんて、できるわけないわ。