そんな朝、突然スターが誕生した。天使の歌声、恵まれた容姿、20歳という若さ。90年代の歌姫は、デビュー・シングルでいきなりビルボードNo.1を獲得、絵にかいたようなスター街道を歩み始めたのは、細身で、まだ少女の薫りを残すマライア・キャリーという名前を持った女性だった。
まだ、ほとんど人前で歌ったことのないというマライアが、ディナー・ショーを開くという。50丁目 "TATOO”、50人も入れば満員という小さな店だ。あのレコードで聴く7オクターブの声域と、驚異的とも思える歌唱力は、果たしてホンモノなのか?(彼女の写真さえ、ほんの数葉しか公開されていない)。インディ・ジョーンズと神秘の女王様に会いに行く気分だ。
「マライアのような声があり、あのジャケットがあれば、もうトドメを刺したも同然である」ー"NEWS WEEK” 8/6付
その夜、マライアは、(かなりの幸運でそのクラブにやってきた)観客にトドメを刺した。恥ずかしそうに登場した彼女は、歌い始めるや、月の光や風のそよぎ、小島のさえずりまでも、宇宙の意志として歌いこなし、小さなクラブは、まるでグラミー賞の会場のように感じられた。アレサ・フランクリンのカバーを含む5曲を歌い終えた時、私は、スター誕生”の現場に居合わせたのだと確信した。
そして翌日、幸運がインタビューの機会を運んで来た。
あなたの特別な歌声に気づいたのはいつ?
「3歳か4歳の時。母がオペラ・シンガーでボーカル・コーチだったので、いろいろ教えてくれたけど、私の声は神の特別な贈り物だから、自分を奮じて、自分の才能を生かし、自分のスタイルを作るように、いつも身気づけてくれた」
ゴスペル、ソウル、ダンス・・・・・・・さまざまな音楽をとり入れていますね。
「いろんな音楽を聴いて育ちました。好きなのは、アレサ、S・ワンダー、M・リパートン、S・マードック、A・グリーン・・・・・・ジャンルにはとらわれていません。母は、アイリッシュだけど、父はベネズエラン・ブラック。いろんな人種的バック・グラウンドがある」
ビルボードでNo. 1をとった気分は?
「だれもが思い描く夢だけどもう驚きと感謝。あまりにも成功のスピードが速かったので」
ソング・ライティングについて。
「13歳のころから始めて、最も影響を受けたのは、S・ワンダーかしら。新しい歌やアーティストも聴くけど、自分自身が楽しめるのはほとんど昔の音楽。だから、現在のチャートに上がる(ラップなど)曲のタイプとは違うから、こんなヒットは予想もしていなかった」
コンサートは、2枚目をリリースした後になるらしい。最後に2枚目のアルバムへの抱負を聞いてみた。
「曲はかなりあるけど、1枚日はプロデューサーが何人もいたので、2枚目は一人か二人に絞り、自分自身もアルバム作りにしっかりと取り組んでゆきたい。できるだけ多くの人に私の音楽を聴いてもらうために、自分をオープンな状態でいたいし、ベストを尽くしたい」
日本のファンへのメッセージは、「ハロー!(笑)私の音楽を聴いてもらってありがとう。みなさんに会うために、そして日本の文化を体験するため、できるだけ早く日本へ行ってみたいわ」
NYは、刺に満ちている。その刺教こそが、エネルギーを生み、夢を生むのである。